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普段だと、ペンを手にすれば、頭の中に描く夢を追いかけるかのように、ペンは紙上を走り、踊る。ここ最近は、自分の机と向き合い、ペンを手にしても、ペンは不器用に動くだけで、思考を元に文章を紡ぐどころか、単語を羅列させるばかりで、ふと気がつくと、僕は思考やアイデアを模索するかのように、窓の外に目を向けている。

 もし、「あのこと」がなければ、我々はここ東京で、「未知なる未来へ」をテーマに集い、対話し、子どもや若者のための舞台芸術の未来を計画しているはずだった。

 運よく、テクノロジーはこの危機に間に合う形で発展を遂げ、地域的に各自の主観を共有しながら、オンラインで実りある話し合いをすることができた。

 「実りある」と言ったのは、それらの話し合いがお互いの体験を共有するものであり、また、お互いの現況を報告するものであり、多くの参加者にとって心の解放にもつながったからである。

 同時に、観客に届けることすらままならない、各国の児童青少年演劇の危機的現況を目の当たりにした。

 おそらく(ここ東京でもそうであったように)、至るところで、実りある、直視すべき、シビアな、落ち込むような、学び多い、そして我々を疲弊させる話し合いが実践家同士で行われていたに違いない。

 そして、「もうこれ以上無理」と言った声もあったのでは?

 きっとそれぞれ出来うる形で、未来がどうなるかわからないまま、しかし、テクノロジーを駆使しながら、現実と直面してきたのではないだろうか。その結果、僕個人の頭の中もまた、未来の確実性を追い求めるが如く、まるで思考の廃墟のように、様々な言葉が散りばめられ、刻まれている。しかし、未来は不確実であり、さらにその未知さを増すばかりである。そして気づくと、僕は窓の外に目をやり、子どもや若者の声なき声に耳を傾ける機会を持たなければと思い始めていた、彼らこそ未来なのだから。

 未来が不確実であること、そしてこれからも常にそうであることを認めようではないか。一方、今、我々は未来に生きる人々に耳を傾けることが可能であり、「演劇」という名の想像の世界を彼らと共に築くことが可能である。そうすることで、未知なる未来へステップを踏み、これからの未来を構築できるのではないだろうか。

 最後に。ここ東京で皆さんと会えることを心より楽しみにしています。それまで、なんとか!!

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